#いつもそばに
血は繋がってないけど、僕を孫のように可愛がってくれた“おばちゃん”
突然の報告だったけど、亡くなったらしい。
誰よりも僕の旅を応援してくれた人。
必ず笑顔で帰国の報告をしようと願っていたが、
叶わぬ願いとなってしまった。
小さい時からたくさんの愛情を注いでもらい、
家族同然のように過ごしてきた。
言葉では表現できないぐらい、僕にとっては大きな存在だった。
遠く離れた地にいる今、全然実感も何もないが、
亡くなったという事実だけが、僕を悲しくさせる。
こみ上げてくる想いは忘れないように胸の中にしまっておく。
“ありがとう” この言葉にたくさんの想いを込めて。
#チャリのミラーはどこにある!?
こんにちは!
前回、モスタルからチャリで3日かけ、無事到着した“バニャ・ルカ”
ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体の1つである、スルプスカ共和国の首都。
次の目的地 “クロアチア” へ行く前に、気になったので寄り道。
場所は画像真ん中あたり「Banja Luka」、ボスニア北西部に位置する。
首都サラエボは “je” と書いて “エ” と発音するので、
バニャ・ルカも最初は、バンア・ルカかバンヤ・ルカかなと思っていた。
地元の人に教えてもらった結果、バニャ・ルカとのこと。笑
ということで…よし!市内を散策しよう。チャリでぐるっと一周。
最近、天気がパッとしない。この日も曇り空。
街の中心地に、この街のシンボル的な教会があった。多分これが1番の目玉。
第二次世界大戦で破壊されたが、再建されたのだそう。
僕は自然も好きだが、街並みも好きなことに最近気づいた。
でも、単体としての建物にはあまり興味がないようで、
この教会も写真を撮って終わった。
少し説明が難しいけど、いいなって思う時には共通点があるような気がする…
旅を続ける中で、それを明確にしていこうと思う(´ω`)‼︎
中心街の雰囲気。首都って言う割には、少し人が少ないように感じた。
公園には巨大チェスがあって、おじさんたちはこれに夢中。
一緒にやろうと誘ってもらったが、残念なことにルールを知らない…
でも、ルールを説明してもらいながら、楽しく参戦させてもらった。
おじさんたちは愉快に笑い、いい人たちだった。
他にもお城の跡地やモスクなどが多数あったが、飽きたので散策は中止し、
ずーっと探しているチャリのミラーを求めて、自転車屋を巡ることに。
使用しているハンドルはこれ。ブルホーンバー。
バーエンドに差し込むタイプのものを探しているのだが、
どこの自転車屋さんに行っても、ミラーすら置いていない。
バニャ・ルカにも3軒ほど自転車屋さんを見つけたが、結局どこにもなかった。
ミラーは重要なパーツだと思うので、早くゲットしたいなぁ。
バニャ・ルカは観光地ではなく、人々の暮らしの拠点という印象。
公園とかスーパーとか、現地の人の生活が垣間見れる場所が面白い。そう思った。
よし、クロアチアに向け出発!!
#モスタルからバニャ・ルカ目指し、チャリを漕ぐ。後編
こんにちは!
先日、GoProのハウジングが壊れました…
これは由々しき問題!!
この旅でいろいろなものが壊れます。
ケータイ…カメラ…GoPro…全部まだ使えるからいいものの…
疫病神よ!どっかへ行ってくれ〜〜〜(´;Д;`)
今回は ↑前編の続き で後編。
✔️モスタル→✔️ヤブラニツァ(今ここ)→ブゴイノ→バニャ・ルカ
ヤブラニツァを出発し、少し進んだ頃…今シーズン初の雪を目にした。
みぞれのような、あまり質の良さそうな雪ではなかったが、
何歳になっても、雪を見たときはワクワクする٩( ᐛ )و
おかげでテンションが上がり、漕ぐのも楽しくなった。
でも、そのテンションも継続することはなく、坂に苦しめられた。
ずっと続いた上り坂。見下ろせば、さっき通った村が小さく見える。
下り坂になった頃、時計を確認する…3時。
この時点で、宿を出て5時間ぐらい経つが、走行距離はたったの35km。
この地域の地形がいかに厳しいか、身をもって知ることになった。
日没も近づくので、走行できるのは1時間ちょっと。
坂を本格的に下り始めた時、サイクルメーターは38.84kmと表示。
下り坂が続き、次第に道は平坦になる…
この日ブゴイノ(Bugojno)という街で寝床を見つけ、1日の走行を終えた時、メーターは82kmと表示していた。
…約1時間半で43km ∑(゚Д゚)!?地形って面白い。笑
3日目
この日も目的地であるバニャ・ルカを目指し、ペダルを漕いでいく。
この日、ブゴイノからバニャ・ルカまで120kmの走行をしたのだが、
道中はなかなか楽しいものだった。
前日まであった雪も、進むにつれなくなって※いき、ただ寒いだけに。
※(いき?ゆき?どっちが正しいですか?)
ずーっとヴルバス川に沿って道は続いていた。
周りの景色は山だが、道は平坦。車通りも少なく快適だった。
途中、雰囲気が良さそうだったヤイツェ(Jajce)という街に寄り道。
ぐるーっと街を一周してみたが、なかなかいい感じの街。
観光客もまぁまぁいたのと、地元の若い人たちがいっぱいいたように感じた。
1時間ぐらいこの街を見てまわったあと、バニャ・ルカを再び目指す。
途中、人気のないところになぜかダチョウがいたり…
アメリカの「ホースシューベンド」そっくりなところを発見し、
数年前に友達4人で行ったことを懐かしく思った。
ヤイツェに寄り道したこともあり、バニャ・ルカに着いた時には、あたりは真っ暗。
久々に100kmを超える走行をし、宿に着いた時には足はパンパン。
走行中から右膝と左足の筋が痛み、満身創痍での到着となった。笑
目的地 “バニャ・ルカ” (Banja Luka) 到着!とりあえず2泊の予定。
#モスタルからバニャ・ルカ目指し、チャリを漕ぐ。前編
こんにちは!
いよいよ12月。早いもので今年もあと1ヶ月ですね。
本格的に寒くなる季節ですが、皆様体調には十分気をつけてください。
2017年を振り返った時、いい1年だったといえるように
残りの数日も1日1日を大切に頑張っていきましょう!!
モスタルを出発し、次の目的地はクロアチアの首都 “ザグレブ”
…の前に、ボスニア北西部に位置する “バニャ・ルカ” という都市を目指す。
ボスニアはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国という
2つの構成体からなる連邦国家。
このバニャ・ルカというところは、首都 “サラエボ” に続き2番目に大きな都市。
事実上、この地域の首都となっている…なんか難しいな(´-`).。oO
まぁ頑張って漕いで行こう!!!
ということで、先に結果を言ってしまうと、こんな感じで3日の行程。
1日目
宿を出発し、ペダルを漕ぎ始めたが…気分が乗らない。原因は強風。
北にあるヤブラニツァというところへまず行くのだが、↓ご覧の通りの地形。
山から吹き下りる風…もう…気分はまさにこんな感じ→orz
川沿いに進む道が、比較的平坦だったのが唯一の救い。
でも、風が強すぎて、下り坂も漕がないと進まなかった。
結局、強風はずっと続き、1日中気分が上がることはなかった。
この日は約50km。早めに切り上げ、ヤブラニツァでモーテルに泊まることに。
ヤブラニツァは「子羊の丸焼き」が名物らしく、
レストランの店先で焼いている姿をよく目にした。
嫌な画像かもしれないので、ここには載せないが、
肉屋でも焼く前の姿が、そのまま売られていてびっくりした。
ぶらぶらと街を歩いてみたが、街は小さく、特にこれといったものはなかった。
観光シーズンじゃないからなのか、最近どこに泊まってもひとり…
でも、ひとりだからといって乱雑にすることなく、
宿のスタッフさんはみんな優しくしてくれ、嬉しく思う。
2日目
ヤブラニツァを出発し、この日もペダルを漕ぐ。
こんな感じの景色を見ながら進む。
そして、しばらくすると辺りの景色が変わってきた。
雪!!!!
1ヶ月ぐらい前から、所々で山のてっぺんには見えてはいたが、
実際に雪を目の前にしたのは、この日が今シーズン初。
街にあった温度計にはマイナス1℃と表記されていた。
でも、上り坂で必死になって漕いでいる時は…半袖。
上りがあると半袖になり、下りがあると上着を着る。
このサイクルを何回繰り返したか…めんどくさいの極み(´ω`)‼︎
こうして雪を目の前にテンションが上がり、進んで行くのであった。
後編へつづく。
#モスタル観光〜銅板細工が欲しい〜
結果的にモスタルには3泊した。↑ これはその1日目の内容。
今回は、モスタル滞在2日目と3日目について。
2日目
モスタル観光 〜銅板細工が欲しい〜
ボスニア・ヘルツェゴビナという国のイメージは、
昔、紛争があって大変だったところ…
残念なことに、それぐらいのことしか知らない。
今までの人生で、いかに海外のことに目を向けてこなかったかが分かる。
ヨーロッパを周る計画を立てた時、東欧中心で周ると決めた。
少しでも、知らなかったことについて、知りたかったから。
その計画を立てた時、旧ユーゴスラビアのことについて調べた。
知らなかった現実がここにもあった。
(複雑で繊細な問題だと思うので、自分の口からは説明しないことにする。)
実際にチャリでこの辺りを旅してみて感じたが、山が多い。
このような地形から、山を境にし、多数の民族と宗教が存在したらしい。
今回来たボスニア・ヘルツェゴビナにある小さな街 “モスタル” は、
実際に民族紛争が起こり、特に激戦地として多くの人が命を落とした場所。
負の世界遺産と言われる “平和の橋” があるのだそう。
負の世界遺産とは、「人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件」とのこと。
日本では広島の “原爆ドーム” がこれに当たる。
実際に行ってみた。
宿から歩いて数分で平和の橋はあった。
「スターリ・モスト橋」この街のシンボル。
(ベスポジがどこか分からず、こんな変なアングル)
前日の醤油を探している時にも見えてはいたが、
この日にとっておくため、直視するのはやめていた。笑
紛争の際に、この橋も爆破されたらしいが、
紛争後に互いに手を取り合い、再建したのだそう。すごい(´;Д;`)
旧市街地の風景。
ヨーロッパとは言い難いような、中東的なエキゾチックな雰囲気。
ちなみに、この街やモスタルへ来る途中の街でも、見て驚いた光景があった。
1つの街に、カトリックの教会とイスラム教のモスクが混在していて、
確か、夕方4時頃だったと思うが、両者からお祈りの聖典が同時に流れて来た。
すると、目の前の人たちは自分たちの宗教のお祈りをし始めた。
共存って言葉の意味を体感した瞬間だった。
この平和の橋が、この街を見守っているんだなぁ。そう感じた。
それでもまだ、至る所に銃弾の痕跡が見られたり、
半壊状態の建物も多く存在している。
これからも平和が続き、この世から戦争がなくなることを願う。
テロとか戦争とかなくなればいいのに…。
街を歩いていると、あるものが目に入る。
それは、この地域の工芸品「銅板細工」
大量生産感のある安っぽいものから、ハンドメイドで作っている趣のあるものまで。
ここで「ジャズベ」というトルコ式コーヒーを淹れるポットを見つけた。
前の職場の人にこれが似合いそうやな〜と思っていたら、
どうしても欲しくなって…買ってしまった(´-`).。oO
お土産買うキャラは卒業したはずだったが、今回はまぁいいや。
その分、キャンプして宿代浮かせる!!!
こんな感じで2日目は充実の日となった。
3日目
えーっと…
本当は、出発日の予定。次の街目指し、チャリを漕ぐ予定だった…
が、大雨・強風の大荒れ。外に出るのはやめた。
そして、宿から一歩も外に出ていない…書くことない(´;Д;`)笑
おわり。
#モスタルで醤油を探す
↑ 前回の記事。
モスタルに無事到着し、宿を探す。
宿探しをしようと思ったら、途中に大きなホームセンターがあった。
スーパーも併設されていて、なんでも揃いそう。
生活に必要なものを買うことに。
今、欲しいものリスト(☆重要 ◯あればいいな ⬛︎いるようないらんような)
☆キャンプで使うガス缶
◯スプーン
◯自作の韓国風ソースを入れる容器
◯チャリのミラー
⬛︎ごま油
とりあえず一番必要なものはガス缶!もう少しでなくなりそうだった。
これがあったら、キャンプの時やもしもの時も使えるので便利。
そして、スプーンと容器も見つけたので購入。
コトルに滞在している時に、宿の韓国人オーナーから
簡単に作れるスパイシーソースの作り方を教えてもらっていた。
簡単に作れて、味もおいしい。保存も効くので、最高!なやつ。
買った容器は、それを作って保存するためのもの。
上記の欲しいものリストのごま油は、このソースに入れると美味しくなる。
でも、今回はとりあえず買わなかった。
モスタル滞在時の食材なども買い揃え、ソースを作るのを楽しみに、ホームセンターをあとにした。
宿が決まり、ソースを作るために必要なものをカバンから出す。
えーっと、玉ねぎと…ニンニクと…唐辛子の粉末…んで、醤油!
…あれ…醤油がない(´;Д;`)
コトルの宿を出発する時、バタバタしていたのでキッチンに置き忘れていた。
醤油がないとどうしようもない。
どうしてもこのソースが作りたかったので、近くのスーパーへ。
徒歩圏内のスーパーは全部回ってみたが、醤油はない…
必要としている時、必要なものはなかなか見つからない。
チャリに乗って行動範囲を広げたが、どこにもなかった(´;Д;`)
最後の望みをかけて、少し離れたあのホームセンターに…
あった!
ごま油も見つけた!やっと見つけた醤油は神々しかった。笑
結局、この醤油を見つけるまでに3〜4時間かかったと思う。
醤油はカバンの中にあると思っていたから、1回目ホームセンターに行った時は見ていなかった。悔しい(´;Д;`)‼︎笑
ちなみに店名は「Fis」モスタルで醤油探してる方はここへ。笑
ルンルンで宿に帰り、調理開始。
といっても、玉ねぎとニンニクをみじん切りにして、
唐辛子の粉末と醤油・ごま油を入れて混ぜるだけ。
コレが完成したソース。きゅうりやキャベツが格段にうまくなる。
このソースが完成した時にはもう外は暗く、
観光することなく、モスタル滞在1日目が終わった。
醤油を探してチャリで街中を走り回ったから、きっとこれが観光。笑
こういう時にもチャリを持っててよかったなと思う。
#コトルからモスタル目指し、チャリを漕ぐ。
長く一緒に沈没したかおりさんと、仲良くなった韓国人のソンジをバス停まで見送り、僕は次の国ボスニアを目指す。
コトルからヘルセグノビという街までは、アドリア海沿いに道を進む。
景色があまり代わり映えしないまま、約45km。でも、この山肌は圧巻。
沈没しすぎたせいなのか、チャリを漕ぐのが辛かった…
チャリダーの石田さんの書籍にも「沈没後の走行は辛い」
的なことが書いてあったのを思い出し、この状況にひとり笑った。
ヘルセグノビの街へ入る少し手前で右折し、ボスニア国境を目指すのだが、
そこからは辛い山道が待っていた…
コトルでの沈没の理由のひとつに「山越えからの現実逃避」というのがあった。
現実逃避し続けた結果、怠けた脚に戻っていた。
さらにしんどい思いをすることになるなんて…くそぉ(´;Д;`)
辛い登り坂にヒィヒィ言いながら、チャリから降りて押して進んだりもした。
気づいた時には、左に見える山に雲がかかっていた…
そんなに標高が高いわけでもないのに、雲が近い。
しばらく進んで、イミグレに到着し、出入国の手続きをする。
ボスニア側の係りの人がとても気さくでいい人だった。
「スピード検知のレーダーがあるから、スピード違反に気をつけてね。」
って、笑って冗談を言ってくれた。笑顔になったし、嬉しかった。
それからも会う人みんなが笑顔で接してくれた。
こういう小さなことが嬉しくて、幸せと人の温かさを感じる。
最近、陽が落ちるのが早くなってきて、夕方5時頃には真っ暗。
キャンプのためにテントを張ったりするので、走行時間は短くなる。
だから、走行距離も短い。
コトルからモスタルまでは2日半かかったのだが、山の中でキャンプを2回した。
たぶん夜中と明け方は一桁台の気温。
でも、意外と快適に生活できることを知った。(朝露が厄介…(´-`).。oO)
片付け中のこんな写真しかない…
フライシートは乾かしている時だったので、インナーだけの裸の状態。
モスタルの少し手前にあった街がいい感じだった。
赤い屋根の家で統一されていて、全部の家に煙突があった。
その煙突から、もくもくと白い煙が出ていてなんとも言えない情緒があった。
こんな感じで、モスタルに無事到着。